スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

文フリ第十四回 新作『妖精の国』

落渕です。

いよいよ明日になりましたが、文フリ向けの宣伝を最後に。
D-22 クーロンパンダで出展します。

新作として『妖精の国』を出します。
内容は、近未来系のSFで、不老が実現した未来の社会をオムニバス形式で、という感じです。

ご紹介までに、一章をまるっと掲載します。



-----------
『妖精の国』

一.誕生日

ある日の食卓。
「おばあちゃん、もうすぐ僕、誕生日だよ」
「あらそう。早く食べましょう。ご飯が冷めてしまうわよ」
「プレゼントは何がいいかな」
「ご飯を食べたらリンゴを剥いてあげる」
「ケーキも食べたいな」
「お父さんとお母さんは今日も遅いみたいね」
少年は九歳、祖母は百四十歳になる。少年は同年代の子供に比べると背が少し低い、子供らしい子供である。祖母の方は、外見だけで言えば四十歳程度の女性のそれである。見る人が見れば百歳超の老人の雰囲気を感じ取れるかもしれないが、一目で年齢を正確に当てることは不可能であろう。
「僕、スマジャンで今、クラスで四番目くらいだからね。誕生日プレゼントでパーツ買ってもらったらヤスダに勝って一位になれるかもしんない。でも、ゴンちゃんとか最近スマジャンじゃないゲームやってるみたいだから、明日聞いてみよっかな」
「そう」
「おばあちゃん、誕生日プレゼントまだだからね。まだ決めないから」
「そうね。お風呂沸かしておくわね」
「あ、でもケーキはクリスマスに食べたのと同じのがいい。もう一回あれ食べたいな」

人類は、積年の課題だった老化を克服した。二〇九〇年代に発見された老化抑止物質。このニュースは、いくつかの事件と社会運動、あらゆる世代を巻き込んだ議論を巻き起こしたが、これが安価に量産可能で一般庶民にも行き渡ることが明らかになると、徐々にその衝撃の度合いを減じていった。かくして、「いい年」になった大人達は、老化抑止薬を服用し、それぞれのやり方で肉体年齢を調整するようになった。若者の姿のままでいたい者は若者のままで、貫禄をつけたい者は中年に。ただ、老いを止めることはできても、若返ることはできなかった。それに不平を言う者はいなかったが。
この革命以降、人口ピラミッドが今後どのように変化していくかを予想できる者はいなかった。議論は活発に為された。子供を作るべきか。人口は増えるのか減るのか。「高齢者」はいつまで生きるべきか。議論はある所までは進んだ。だが、死という言葉を前にすると人々は口を噤んだ。この議題は飽きられていった。確かなことは、晩婚化と少子化の大幅な進行であった。

夜。
「ねえ、母さん、もう駄目なのかしら……」
「医者には診てもらったのか?」
「まだだけど……。もし、アレだって言われたら……」
「いつかはこうなると分かっていたことだ。仕方ない」

ある日の食卓。
「おばあちゃん、来週、僕の誕生日だね」
「あらそう。早く食べましょう。ご飯が冷めてしまうわよ」
「プレゼントはね、やっぱりスマジャンやめて新しいのにした。お父さんが買ってくれるって。ジーゾーンっていうの。流行ってるんだって」
「ご飯を食べたらリンゴを剥いてあげる」
「ケーキはお母さんが買ってくれるって。約束したよ」
「お父さんとお母さんは今日も遅いみたいね」

夜。
「どうしよう、タカシの誕生日に急な出張が入っちゃったの。ごめんなさい、あなた、誕生日は早く帰れない?」
「おい、急に言われても困るよ……。俺の分のプレゼントは用意したんだ。こっちも予定があるって前から言っておいただろ」
「このままだと、母さんとタカシの二人になってしまうわ」
「……義母さんはどうなんだ。医者には行ったのか」
「……行ってないわよ。でも、もう分かるでしょ」
「義母さんのことは、タカシには……」
「あなた言えるの?」

ある日の食卓。
「おばあちゃん、誕生日、明日だよ」
「あらそう。早く食べましょう。ご飯が冷めてしまうわよ」
「お父さんもお母さんも夜遅くなるんだって。寝る前に帰ってくるかなぁ」
「ご飯を食べたらリンゴを剥いてあげる」
「お父さんもお母さんもケーキは要らないって言ってたからね。僕、ケーキたくさん食べるからご飯あんまり要らないよ」
「お父さんとお母さんは今日も遅いみたいね」

人類は肉体的な老化を止めることには成功した。だが、精神的な不死を得たか、については今のところ「否」と言われている。
老化抑止薬の普及により、奇妙な症例が出現した。これは様々に呼ばれている。精神活動の停滞、感情の平坦化、ロボット化。紆余曲折があって、一般には「妖精化」という呼び方が定着している。つまりは、同じ動作を繰り返すだけになり、新たな知識を得たり、物事に対して感情的に反応を返すことがなくなる症状である。精神の寿命、こう言われて納得する者が多かった。それは、誰もが胸の内で、不老不死に対する漠然とした不安を抱えていたせいかもしれない。
妖精かどうかの区別はつくのか。医学的にはイエス。だが、通常の生活を送る中で、ひと時接しただけの相手が妖精かどうかを判断することは不可能である。

ある日の食卓。
「ご飯を食べたらリンゴを剥いてあげる」



-----------

という感じで…明日はよろしくお願いします。

----
落渕
スポンサーサイト

文学フリマ第十四回の宣伝

落渕です。

ぐだぐだしておりますが、文フリ第十四回に向けて準備中です。

お品書き

▼新刊
『妖精の国』 落渕

簡単なご紹介。

人類が不老を実現した未来。だが、精神的な死を免れることはできなかった。
一定年数を生き続けた人は、精神的な死を迎え、同じ行動を繰り返すだけの存在になってしまった。
彼等は「妖精」と呼ばれた。
妖精は、一種の社会インフラとして存続し続けた。
本作ではオムニバス形式で、妖精と人の物語を描く。




▼既刊
『密室探偵演技』 秋人
『探偵なんてもういらない』 秋人
『王子さまと眠り姫』 秋人
『パフェから始まる恋』ラナクター


以上になります。

永遠に治らない遅筆の病と戦っている最中です……。

----
落渕

『アクセル・ワールド』1 母と子の物語

落渕です。

普通に本の感想など。


アクセル・ワールド〈1〉黒雪姫の帰還 (電撃文庫)アクセル・ワールド〈1〉黒雪姫の帰還 (電撃文庫)
(2009/02)
川原 礫

商品詳細を見る


『アクセル・ワールド』でございます。ちょうどアニメの1話をやった後くらいのタイミングですが、私はまだ観てなかったりします。そして原作1巻の内容をここで書いてしまうとネタバレになりそうなので、間がいいのか悪いのか。
念のため、本編に絡む部分は後に回す方向で。

で、「電撃大賞!ウォー!」「アゲハー!アゲハー!」「アニメ化!」「アゲハー!」と、鳴り物入りというか既に評価が確立されてる感があるのかなぁ、と思いつつ読んだわけですが、普通にすごい、さすがの完成度です。
一巻を入り口にして徐々に、というものでもなく、プロローグ的でありながら、このボリュームのストーリーにしてこれ以上ないくらいの終わり方をしています。

曲者的な文章だとか、容赦ない倫理のドライブ感だとか、突き抜けたギャグとか、ケレン味のある設定だとか、そういうのではなく、構成力の権化とでも言うべきスタイルだと思います。一撃一撃に派手さがないように見えるが、最後には全要素が直列に並ぶように配置されていて、ドカンと読者の頭を貫くような。

ということで中身をみつつ、つづき。

more»

『生徒会探偵キリカ』1 この書き出しがすごい

ご無沙汰してます。クーロンパンダ落渕です。

色々と手が出なかったり足が出なかったりですが、
第十四回文学フリマは参加予定だったりします。

この体たらくでどうにかなるのか…まあどうにかなるさきっと。



生徒会探偵キリカ1 (講談社ラノベ文庫)生徒会探偵キリカ1 (講談社ラノベ文庫)
(2011/12/02)
杉井 光

商品詳細を見る


もう2巻が出たという頃合ですが、講談社ラノベ文庫創刊ラインナップのキリカさんです。
杉井光御大を投入して学園もので探偵要素と、当てに行っている感じがものすごいのですが、期待に応えた出来というか、手堅い作りです。

コンプレックス持ちの少年主人公、曲者ぞろいの少女生徒会。
不器用な天才、母性的な天然キャラ、父性的な曲者の大黒柱、…と生徒会の面々は居心地のよい擬似的モラトリアム的な家族を形成しています。そこに学園内の外部や、学園外の外部の力が加わって事件が起きる…と。

武器のような、不器用な天才キャラのキリカを、「無能」な主人公のひかげが奇抜なアイデアやら詭弁で使いこなす、という型は、ラノベの定番的です。


まあ……この手の俯瞰的な視点は置いといて、今作、出だしがすごかったです。
数ページですが、スッと引き込まれるものがありました。技量の冴えというのを感じます。

ということで、つらつら引用しつつ検証してみます。

 ※ ちなみに↓の公式ページでも冒頭は試し読みできるようで。
  http://kc.kodansha.co.jp/magazine/index.php/90008

 八億円、である。



最初の一文がこれです。出だしにどうやってインパクトを与えるか、は悩まれるところですが、今作では、分かりやすく大きくて、現実的に価値を判断しやすい「もの」を冒頭に持ってきています。
さて、ここからどうつなぐか。

 僕が通っている学校の、生徒会予算総額の話だ。八億円といったらちょっとした会社の年間予算に匹敵する。我が校の実体を知らない人に行っても最初はなかなか信じてもらえない。姉に話したら「桁いくつ間違えてんの?」と笑われた。



間髪空けずに、八億円を、生徒会と結びつけます。タイトルからして生徒会は出てきているので、これを隠さず直球でつなげます。無駄がないですね。八億円→生徒会→ふしぎ! くらいのスピード感です。
第三者視点として「姉」を入れて読者と同調ですね。

 でも、中高一貫のマンモス校で、総生徒数は八千人、クラブの数は三百を超え体育会系も文化系も全国大会常連クラスの部をいくつも抱え、さらには一部の施設の維持費も生徒会予算でまかなわれているーーと説明すると、「むしろ足りないんじゃないの?」と心配してくれた。



視点を、生徒会の外の、学校全体に広げます。「八億円」という単体の概念が、具体的な活動の費用として提示されることで学校の規模、活き活きとした生徒達の活動、のイメージにつながります。
「むしろ足りないんじゃないの?」による価値のベクトルの反転。

 実際その通りだ。個人として見れば気の遠くなるような額だけれど、うんざりするほどたくさんの部活動と委員会活動に振り分けていけばあっという間になくなる。



語り手の主観を交えた文章に一旦落ちます。これの前の段落は、客観的事実+姉視点での評価での構成で、語り手が生徒会内の人間かどうかは不明でした。ここで、「うんざり」という主観語によって、語り手の位置が定まります。
個人の視点へのシフト、という感じですね。

 五月になると、委員会と部活の代表者どもが好き放題な額を書いた予算申請書を持って、生徒会室に殺到する。それらをすべて勘案、吟味、審査、嘲笑、無視して年度予算を組み上げているのは、驚くべきことに、たった一人の女の子である。



「代表者ども」「殺到する」によって、生徒会室を消失点にした集中線を描くような、動きのある文です。
「それらすべてを~」によって、その集中してくる「もの」を、個人の感情が受け止めて振り回すようなイメージ。ここに「嘲笑」「無視」が入っているのが、組織でなく個人であるかのような躍動感になります。
「驚くべきことに」は語り手の主観語ですが、「八億円」には驚いていないが、「女の子」には驚いているという対比関係になります。

焦点の「女の子」これがキリカであることは予感させられるわけですが、ここに至るまでに、八億円→学校全体 と焦点を一度拡大させておいて、「委員会と部活の代表者ども」を集中線に使った空間で、「一人の女の子」に焦点を収縮させる、という十分なダイナミズムが発揮されています。

改めて見れば、キリカのキャラ紹介としてまるで無駄がない構成であり、学校の紹介にもなっていて、主人公の立ち位置にも言及している、と、まあ素敵な出だし。

しかも、ここまでが1ページにちょうど収まっていて、「たった一人の女の子である。」でページが切れているという…。職人芸的な印象すらあります。


この「女の子」に興味を十分に引きつけられた状態で、読者は1ページ目をめくる、と。
何とも幸せな出だしではないですか。


ということで…2巻買わないと。


----
落渕

津原泰水『11』「五色の舟」 夢の岸辺

落渕です。
久々に読んだ本の感想など。

津原泰水さんです。『蘆屋家の崩壊』以来。最高傑作という帯にひかれまして。


11 eleven11 eleven
(2011/06/16)
津原 泰水

商品詳細を見る


11の短篇集ということで、一作ずつのらりくらりと書いてみたいと思います。


巻頭を飾る「五色の舟」。
ざっとあらすじを言ってしまいますと、戦中と思しき時代、語り部の「僕」を含む見世物屋一家が某所に現れた「くだん」を探し、「くだん」にまつわる怪異に巻き込まれて…という流れです。ノスタルジックさ、異形感、少しSFチックな仕掛け、と、和製スチームパンクといった印象です。
「くだん」を巡る事件がメインプロットではありますが、短編だけあってあっさりしていまして。どちらかと言えば、「僕」を含む見世物屋一家の設定が、この世界観の中核を成していると言えるかもしれません。


本作のキーコンセプトは「夢」ではないかと思います。

見世物屋の一家は、異形の世帯です。脚のないお父さん、一寸法師の昭助兄さん、元はシャム双生児で今は体中に鱗の刺青をしている桜、膝の関節が後ろ前の牛女の清子さん、そして、腕無しの「僕」。

語り部の「僕」は、腕がない上、耳も聞こえません。桜とだけは「特別な言葉」で話すことができますが、「僕」も桜も普通に話すことはできません。
「僕」は耳は聞こえないが、他人が何と言っているかは分かる、という特別な境遇の語り部です。このため、作中では、通常の人物の発言は 丸括弧("(" と")")で表され、「特別な言葉」は、鉤括弧("「"と"」")で表記されています。

「僕」と世界の距離は「遠い」のです。
目に見えるし、聞くこともできるが、どこかフィルターにかかったようにぼやけていて、触れず、話すこともできないもどかしさがある。そういう世界で、お父さんが「くだん」を手に入れようとするのを見ては、不安を抱えたりする、そんな語り部の「僕」です。



見世物屋一家は、各地を巡る生活をしていて、舟に住んでいます。川辺に浮かぶ舟、が本作の絵です。
「僕」は作中で繰り返し夢を見ます。

一家が乗る舟が沖合に出ていて、他の舟とぶつかりそうになる。すれ違う時、家族の誰かがそちらの舟に乗り移ってしまう。相手の舟が見えなくなってから、気づくと元の舟に家族全員が揃っている。

というものです。
この舟の夢は、本作後半で「くだん」によって起こされる、パラレルワールドへの乗り換え、を予知するような内容となっているのですが、このような夢の光景の描写は、作中の「現実」における異形達の舟上生活の夢幻性と折り重なり、読者にとっての「現実」の所在を揺らすものとなっています。

舟の夢の後、「僕」と桜が夢の内容を伝えようと脚で絵を描いたり、必死で「舟」と声に出してみたりするシーンは、夢の中で何かをしようとしてできないような、もどかしさを連想させます。



本作の結末では、前述の通り「くだん」によるパラレルワールドへの移動によって、多重世界に多重に存在する自分達、という感覚が提示されて終わります。
この多重感は、作中設定で、というだけでなく、「僕」による、夢の延長のような語りによって、読者にとっても夢の中に迷い込んだような感覚として現れてきます。


本作の末文は以下となっています。

色とりどりの襤褸をまとった、あの美しい舟の上に。



五色の舟、というタイトル。五という数は、「僕」達の家族の人数と一致するのでその意味もあるでしょう。ただ、夢の中の舟、というイメージからすれば、一定でなく見るたびに変わるようなとらえどころのない色、として見るのがいいかもしれません。
光が眩しく反射する水面にあって、ひとつの色におさまらない、そんな舟の風景が本作から浮かび上がってくるのでは、と。

※ 水面、というと『蘆屋家』の「水牛群」もそんなイメージだったような…。


----
落渕

Powered by FC2 Blog

FC2Ad


Copyright © クーロンパンダ All Rights Reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。