スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『零崎人識の人間関係 匂宮出夢との関係』 第一章冒頭の一節

落淵です。
西尾維新の人間シリーズ(4冊同時刊行とか無茶しやがって)、読みましたよ。しばらくこれをネタに書こうかと思います。4冊だから4回分。

で、自分が読んだ順番ですが、ヒントも出てないので特に悩みもせず出版順で行きました。出夢、伊織、双識、戯言 でございます。
あとがきによると、戯言を最後にする場合は、双識、出夢、伊織、戯言 の順らしいですね…先に言えよ…。

気にせず、今回は出夢から行きます。

零崎人識の人間関係 匂宮出夢との関係 (講談社ノベルス)零崎人識の人間関係 匂宮出夢との関係 (講談社ノベルス)
(2010/03/25)
西尾 維新

商品詳細を見る


ネタバレ回避。 はい。

今回は、タイトルの通り、作品評はやらずに冒頭の一節をひたすら読みます。
序章があるのですが、それは飛ばして第一章の最初の一節。ごっそり引用。

表向きはお嬢様学校という名目で実際のところは屈強な傭兵を養成している特殊教育機関、澄百合学園。中等部一年生にしてその澄百合学園総代表を務める萩原子荻は、武力をほとんど有しはしないものの、事実、こと精神力という面において他の追随を許さないほどに抜きん出ていて、だからこそ例外的に、養成期間にありながら策師という立場を与えられている―しかしだからと言って、彼女は決して恐怖の感情を知らないわけではない。彼女のメンタルの強さは、むしろ恐怖を熟知するがゆえのものなのだ。



維新さんは『偽物語』以来、ということで、序章の意味深風のくだりをさっと飛ばしつつ、いよいよ本編ということで入った第一章の冒頭がこれでした。で、これを読んだ所で「ああ、西尾維新だなぁ」と感じ入った次第。その時は感慨は置いておいて続きを読む作業に戻ったわけですが、改めて感想をまとめる段ということで再度、自分の抱いた「感慨」の中身を検証してみましょう、ということが今回のお題です。
うーん、改めて見ると説明台詞もいいとこなんですがねぇ…。

一応、背景を確認。萩原子荻は、戯言シリーズ三作目の『クビツリハイスクール』の登場人物で、人間シリーズにも登場。というか、戯言シリーズではすぐ死ぬので、人間シリーズの方が出番が多い…。まあ、それはどうでもいい。
今作では、この子荻の配下?の西条玉藻が戦闘キャラの一員として活躍。子荻は本筋にも多少は関わるものの、主要キャラというほどでもない。
この冒頭の一節を含む一連の箇所は、玉藻のキャラクターを紹介するために、子荻の視点による玉藻評として、過去の回想を交えつつ描かれます。これには、玉藻が狂戦士で一人称で語らせることが不可能、という事情もあるわけですが。

まあ、そういう説明の枕としての一節です。子荻の最低限のキャラクター説明に、子荻にとっての「恐怖」という感情の位置付けについての説明を加えてまとめている、と。
で、この叙述を受けて、

たとえば恐怖について思考してみたとき―子荻がまず思い出すのは、西条玉藻のことである。



とつなぐわけですね。なるほど。機能面はこれでOK。

では、なぜこの一節が西尾維新らしい、という感想を抱かせるのか、という袋小路的な問へ……。
逆説的に、西尾維新以外だったらどう書くかを考えてみましょうか。先ほど挙げた、この節の機能を満たす文章を考えれば、こんなもんで済むかもしれません。(パターンA)

中等部一年生にして澄百合学園総代表を務める萩原子荻は、こと精神力という面において他の追随を許さないほどに抜きん出ている。しかし、彼女は決して恐怖の感情を知らないわけではない。彼女のメンタルの強さは、むしろ恐怖を熟知するがゆえのものなのだ。



おぉ、すっきりしましたよ…。後の恐怖についてのくだりにつなぐにはこれだけで十分そうです。削ったのは澄百合学園についての説明、子荻個人についての説明です。
これとオリジナルを比べてみて…文章構造、機能は一緒です。つまり、オリジナルの文章は、シンプルな構造に対して装飾を施したもの、というわけで、長めの文章ではありますが根はシンプルです。
基本的にシンプルな文章を書き、シンプルさを損なわないように装飾を施す、というのが維新っぽさではないかと。

ついでに別パターン。(パターンB)

夜、萩原子荻はベッドの中で恐怖について考える。二段ベッドの上の段には西条玉藻が眠っている。この不思議な同居人について考えるとき、決まって彼女の脳裏には恐怖の二文字が浮かび上がってくる。彼女は中等部一年生にして澄百合学園総代表を務める身、こと精神力という面において他の追随を許さないほどに抜きん出ている。しかし、決して恐怖の感情を知らないわけではない。彼女のメンタルの強さは、むしろ恐怖を熟知するがゆえのものなのだ。



……後に出てくる内容もくっつけて適当にやってみました。
分量は同じくらいになりましたが、まあ、全然違いますね。

パターンBでは、子荻がなぜ恐怖について考えるのかを、まず玉藻との関係性を述べることで先導し、状況を整えた上で、子荻と恐怖の関係性を書こうとしています。
オリジナルでは逆で、唐突に子荻と恐怖の関係性を提示して、しかる後に玉藻の存在が浮かび上がってくる形です。

まあ、玉藻登場の枕、という機能を考えればオリジナルの方が断然良しなわけですが。しかし、オリジナルの語りにおける唐突さというのもまた維新的ではないか、と。
小説の冒頭となると、当然情報は十分ではないわけなので、何を読者に提示して、何が「足りない」と感じさせるか、の取捨選択となるわけです。その取捨選択の場面において、西尾維新流では、キャラクターの内面についての説明的記述がやってくる、というわけですね。

と、パターンA、Bを見ましたが、いつも通り強引にまとめると、西尾維新らしさは以下2点と言えるのではないかと思います。

 1. 文章構造のシンプルさ
 2. キャラクターに対するラベリング

文章構造の件については、パターンAで見たので置いておいて。
パターンA、Bとの比較で見えたところは、結局のところ、「西尾維新は、キャラクターをサクッと簡単に説明してしまう」ということなのですよね。
パターンAでは、シンプルな構造に装飾を施している、と言いましたが、装飾=説明なわけですね。パターンBでは、小細工抜きで説明が行われている、ということが見えました。

今回見た一節は、改めて見れば、説明のオンパレードです。

・澄百合学園は、表向きはお嬢様学校という名目で実際のところは屈強な傭兵を養成している特殊教育機関である。
・萩原子荻は中等部一年生にしてその澄百合学園総代表を務めている。
・萩原子荻は武力をほとんど有しはしないものの、事実、こと精神力という面において他の追随を許さないほどに抜きん出ている。
・萩原子荻はだからこそ例外的に、養成期間にありながら策師という立場を与えられている。
・しかしだからと言って、彼女は決して恐怖の感情を知らないわけではない。彼女のメンタルの強さは、むしろ恐怖を熟知するがゆえのものなのだ。



単純に並び替えただけでこんな感じです。

改めて指摘するまでもないですが、特に戯言・人間シリーズはラベリングのオンパレードです。「戯言使い」「人類最強」「殺人鬼」「殺し屋」etc...
まずは、キャラクターにラベルを与え、その上で、キャラクターが自らの行動によって、そのラベルを再認識する、ラベルからはみ出す、ラベルとの関係に苦悩する、といった様を描く、というのがまさしく西尾維新流の語りの手法なわけです。
そんな中で萩原子荻のラベル「策士」を全くもって無駄なく、ストレートに貼り直しているこの冒頭の文章、まさしく維新的ではありませんか。

----
落渕

コメント

 

コメント

 
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

Powered by FC2 Blog

FC2Ad


Copyright © クーロンパンダ All Rights Reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。